今月の法話
令和6年10月 No.438
聞法は終活でなく生の糧である
聞法は終活でなく生の糧である
我々の浄土真宗とは「阿弥陀さまが私をお救いくださる宗教」です。
どのようにお救いくださるのかというと、「われ、南無阿弥陀仏という名となって、あなたの命の中にいり満ちよう。そしてあなたの口から南無阿弥
陀仏とこぼれでて、あなたを救おう」とおっしゃる仏さまです。
お念仏をお称えくださいませ。
「南無阿弥陀仏」そのお念仏が仏さまです。
ですから我々は仏さまを探す必要はありません。
このたびの人生は阿弥陀さまがご一緒の人生であり、いずれ命終わる時この仏さまに抱かれてお浄土に参らせていただきます。
「命が終わったらお浄土に参るのですか」と聞かれることがあります。
それは間違いではありませんが、命が終わったあとの話をしているのではありません。
お救いは「いま」です。お聞かせにあずかる時に、私の人生の方向性が決定いたします。
いたずらに暮らし、命の終わりに「こんなはずではなかった」と悔やみながら人生を終えるのではありません。「このたびの人生、生まれてきてよかった。阿弥陀さまにお出あいすることができた」と喜べるのが浄土真宗です。
大阪府貝塚市 正満寺 安方 哲爾
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。- 令和6年9月 No.437/大松 龍昭 (熊本県)
- 令和6年8月 No.436/藤澤 彰祐 (滋賀県)
- 令和6年7月 No.435/柴田 弘司 (福岡県)
- 令和6年6月 No.434/中山 浩司 (山口県)
- 令和6年5月 No.433/星野 奏眞 (福岡県)
- 令和6年4月 No.432/小林 邦顕 (広島県)
- 令和6年3月 No.431/福岡 智哉 (兵庫県)
- 令和6年2月 No.430/松崎 智海 (福岡県)
- 令和6年1月 No.429/大谷 光淳 (門主)
- 令和5年12月 No.428/源 裕樹 (兵庫県)
- 令和5年11月 No.427/藤 清道 (鹿児島県)
- 令和5年10月 No.426/津守 秀憲 (兵庫県)