法話を聞く・読む / 今月の法話

今月の法話

令和7年6月 No.446
りにしようといういがしみを

 仏教では私たちが抱えている苦しみの大きな原因は、煩悩であるとされています。阿弥陀さまは煩悩によって自らを苦しめ、その苦しみの連鎖を繰り返し続けている私を、欲望や煩悩に振り回されることのない仏としてみせると立ち上がってくださった仏さまです。

 私には3つ年下の弟がいます。弟は私より20センチ以上身長が高く184センチあり、モデルの仕事をしていたこともあります。東京に住んでいる弟は帰省するたびに私を見下ろし「お兄ちゃんなのにかわいそうに」と私のことをよくからかいます。それが悔しくてその度落ち込む私ですが、初対面の方に自分に興味を持ってもらいたいがために「ぼくの弟はモデルをしていたんですよ」と自分の都合で弟を利用してしまったこともあります。どうしても周りと比べあいながら生きているのがこの私の姿であります。いくら自分の思い通りにしようとしても思い通りにならないのがこの人生、この命です。

 阿弥陀さまのお浄土の世界にふれる中に、私は線引きをされて嫌な思いをしたのにもかかわらず、自分の都合で「あれはいい。これはダメ」などさまざまな線引きをしている私自身のありさまを知らされます。そんな私であることを教えてくださるのが阿弥陀さまのはたらきです。お念仏の世界、それは認め合う世界であると聞かせていただきます。阿弥陀さまは苦しみを抱えている私を見られ「そんなあなただからこそ放っておくことはできない」と
というお念仏になっていつも私とご一緒してくださっています。

 私たちは自分と他人とを比べて優劣を考えて生きています。自分が何をなしたか、自分が他人からどう思われるかに価値を見いだしていく生き方です。阿弥陀さまはその私を見抜いてくださり差別や区別など一切することなく私たち一人ひとりの命を認め、大切にしてくださりはたらき続けてくださっています。分け隔てなく照らしてくださっている阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきの中で私は生きております。苦しみをご一緒してくださる阿弥陀さまのお心を大切にお聴聞させていただきましょう。南無阿弥陀仏…

宮崎県高千穂町 正念寺 吉村 礼応