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今月の法話

令和6年7月 No.435
私は比べられたくないが他人の事は比べている

 あるとき、インターネットを何気なく検索していると、「他人と自分を比べてしまうのはなぜ?」という内容が目に飛び込んできました。読んでみると、こう書いてありました。

 『人と比べてしまう5つの原因』
  ①「自信がないため周囲からの評価を気にする」
  ②「誰かに認められたい」
  ③「勝ち負けを考えている」
  ④「優柔不断な性格」
  ⑤「閉鎖的な環境」
 とありました。

 それを見たとき私はハッとさせられました。ほとんどが私のこころに見事に当てはまっているではないですか! 人よりも自分の優位さに安堵したい、環境によってコロコロ変わる自信のなさから、人よりも秀でているところを少しでも確認し、自己満足と優越感に浸りたいとの願望を持ちながら、いつも誰かを物差しにして自分の存在を確かめているのが私だったのです。それだけではありません。そんなこころは誰にも知られたくないし、ましてや他人に比べられるのはったものじゃないと思っているのも私でした。私のこころのどこを切り開いても、見えてくるのは自己中心の身勝手な考え方ばかりです。

 仏教では、このような心を「我執」といい、本来実体のない自身の心の姿を、さもこうあるはずだと勝手に都合よく思い込みそれに執着することを言います。「煩悩」のなせるわざですね。親鸞聖人はこの「煩悩」を、

  煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。(唯信抄文意)
  「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、
  はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、
  とどまらず、きえず、たえずと」
(一念多念証文)

 身も心も煩わされ悩ませ続けるのが煩悩であり、このいのち尽きるときまで離すことができないのが私の姿だとお示しくださっています。そのままの姿が私でした。

福岡県直方市 願照寺 柴田 弘司