法要・イベント / 春のお彼岸のご案内

花まつりのご案内

灌仏

「花まつり」とは、毎年4月8日にお釈迦さまのご生誕をお祝いする行事です。
お釈迦さまは今から約2500年前の4月8日、インドの北にあるネパール国のルンビニーという所の花園で誕生されました。お父様はスッドーダナ王、お母様はマーヤー夫人と伝わります。

お釈迦さまが誕生されたとき、周囲の花々は咲き乱れ、天から甘露の雨が降り注いだと伝えられることから、お花で飾った御堂に安置したお釈迦さまの像に甘茶をそそぎます。

別院では、竜谷学園の園児たちが天文館周辺をパレードし、街頭ではお釈迦さまの像に甘茶をかけていただけます(灌仏と言います)。
ぜひご一緒にお釈迦さまのご誕生をお祝いいたしましょう!

パレード
日時 2024年4月8日(月)
10時頃より
内容 10時30分~法要
お釈迦さまってどんなお方?

お釈迦さまは今から約2500年前のお方です。インドの北、ネパールのルンビニーでご誕生になりました。「釈迦」はお釈迦さまが「シャカ族」という部族の出身であったことから、「釈迦族の尊いお方」という意味を込めて、お釈迦さまや釈尊とお呼びします。
お釈迦さまは、カピラヴァウストゥという場所に国を構えていたシャカ族の王子として誕生されました。

ご誕生
ご誕生

ルンビニーの園で誕生されたお釈迦さまは、お母様であるマーヤー夫人の脇から誕生してそのまま立ち上がり、7歩歩いて、右手で天を、左手を地を指差し「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝わります。マーヤー夫人はお釈迦さを出産されてから1週間ほどで亡くなられます。母の死はお釈迦さまのその後の人生に大きな影響を与ているのではないでしょうか

四門出遊
人生に苦があることを知る「四門出遊」

お釈迦さまは王の跡取りとして、お城で何不自由ない暮らしをしていました。しかし、物思いにふけることが多かったことから、父であるスッドーダナ王は、お釈迦さまの周囲から暗くなってしまうようなものはできるだけ取り除いたそうです。

四門出遊(老) 四門出遊(病) 四門出遊(死) 四門出遊(沙門)

結婚してお子さまもおられたのですが、あるとき、お釈迦さまはお伴を連れてお城の外に出ます。するとお城の東の門で老いた人に出会って老いる苦しみを知り、南の門で病の人と出会って病になる苦しみを知り、西の門で息絶えた人と出会って生まれたら必ず命を終えることを知ります。そして北の門を訪れた際に、出家して瞑想したり苦行をしたりして、世俗の苦しみを断った清らかな「沙門」と呼ばれる修行僧と出会ったことをきっかけに、ご自身も出家することを決意したと言われます。

出家 出家(苦行)
出家し、苦行に打ち込まれる

人生に苦しみがあることを知ったお釈迦さまは、苦悩の解決をめざし王子の位や家族を捨てて出家することを決意されます。そしてついに、お釈迦さまは奥様とお子さまを残して出家されるのです。29歳であったと伝わります。

お釈迦さまは苦しみの原点である煩悩を断つため、高名な師のもとで禅定という瞑想の修行を行いますが、満足することができず、苦行に打ち込まれました。苦行とは、食事や睡眠を制限し、身体を極限まで痛めつける修行法です。

苦行は6年にもおよびましたが、それでも自らの道を見出すことはできず、お釈迦さまは苦行をおやめになりました。

仏陀となる(スジャータ) 仏陀となる(禅定)
さとって仏陀となられる

苦行によって骨と皮だけのような状態だったお釈迦さまは、近くの村娘であるスジャータから乳粥の施しを受けて体力を取り戻し、ブッダガヤーの菩提樹の下で禅定に入り、さとりを開かれて仏陀(目覚めた人)となられたのです。

教えを説く 教えを説く 教えを説く
多くの人たちに教えを説く

仏陀となられたお釈迦さまは、人々の苦悩を取り除くため、多くの教えを説かれました。お釈迦さまが説かれた真理を「法」と呼びます。お釈迦さまの教えに感銘を受けた人々は続々と弟子入りし、次第に教団は大きくなっていきました。

入滅

各地を旅して教えを説き続けたお釈迦さまは、80歳を迎え、最後の旅に出られます。わずかな弟子を連れて、生まれ故郷に向かって歩まれました。王舎城を出発しておよそ350キロの道のり。お釈迦さまは生きた虫を踏み潰して命を奪わないよう、裸足で下を向きながら歩んだと伝わります。旅の途中でチュンダという鍛冶屋の子からきのこ粥の施しを受けましたが、このきのこ粥が原因で食中毒になってしまいます。お釈迦さまはひどく苦しみながらも、決してチュンダを責めることなく、最後の旅を続けられます。

入滅

クシナガラに着いたお釈迦さまは、お供していたお弟子のアーナンダ(阿難尊者)に、沙羅双樹の樹で休みたいとおっしゃり、頭を北にし、右脇を下にして横になられました。するとそばにいたお弟子のアーナンダは泣いてしまいます。しかしお釈迦さまは改めてアーナンダに諸行無常の理を説いたと伝わります。

そしてついにお釈迦さまに臨終が訪れ、最後に無常の理を弟子に説き、入滅されました。

お釈迦さまの入滅後、遺された弟子たちは集ってお釈迦さまの教えを確認しあいました。それを文字にしたものを「お経」といい、中国に伝わった際に漢文に翻訳され、日本にも伝わりました。ご法事などで拝読するお経は、今から2500年前に説かれたお釈迦さまのお言葉だと考えますと、時空を超えてお釈迦さまの説法を聞かせていただくと味わうことができるのではないでしょうか。