法話 今月の法話

今月の法話

平成29年10月 No.354
流転(るてん) 人は得意なもので迷う

 「私は何の為に生まれ、何の為に生き、何と為に命終わるのか」が見いだせず、何度も生まれ変わり、死に変わりを繰り返していることを流転といいます。

 くすの木や、樫の木といった類の木々は、新緑の季節に葉を落とすといいます。新しい命が芽生える中に、わが身は散っていかななければならないのかと思うと、とても寂しく辛いことです。しかし、このような時期に葉を落とすからこそ、気付けることもあるのではないでしょうか。

 それは、自らが散るときになって初めて、「私も、どれほど多くの古葉に見守られ、どれほどの命に支えられて、ここまで育ってきたのか」ということです。もし、そのことに気付けたならば「散る」ということの意味が変わります。「私は決して虚しく散る命ではなかった。私はこれから土となり、栄養となって、これから生まれる、全ての命を支える為に散ってゆくのだ」と。

 一方で、私がこの人生を終えるとき、「私は生きとし生ける者の為に、この人生を終えるのです」と言い切っていけるかといえば、そうはいかないように思います。「少しでもこの世界に留まっていたいですし、一分一秒でも親しい方と過ごしていたい」と………。

 しかし、阿弥陀さまは私に「あなたはただ、この人生をいたずらに費やし、虚しく流転する訳ではありません。あなたは浄土へと生まれてゆくのです。そして、この上ない覚(さと)りの身となられ、古葉が若葉を支えてゆく側にまわるように、あらゆる命を育て、導いてゆくような存在になられるのです。いや、そのような身に、私が必ず仕上げてみせる!」と、私に「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と告げ続け、かかり果てていて下さるのです。

 流転を繰り返してきた私の人生はこの度、ついに打ち止めとならせていただくのですね

大阪府摂津市 誓覚寺 宮部 誓雅

今月の法話について

西本願寺鹿児島別院では、本願寺派布教使による法話(仏さまのお話)を毎月発行しています。