法話 今月の法話

今月の法話

平成30年5月 No.361
われてと生まれてきた てられてきた

 私たち人間は動物です。人間に生まれたからといって人間になるとは限りません。人間になるということは、人間に育てられてはじめて人間になるのです。私たちは生まれる前から願いをかけられ、育てられ、私のために寄り添うはたらきがあったことを感じています。やがて自分中心の思いしかなかった私が成長して、相手の気持ちや、周りの人を思いやることのできる心へと育てられていくことで、本当の人間になっていくのではないでしょうか。そのように願わんと願われ、育てられて、ようやく本当の人間になりながらも、いつの間にか私はそのことを忘れて、私が願い、私が育てているという自分勝手な立場に立ってものを見る姿へと変わっていくのです。このような傲慢になっていく自分の姿、恥ずかしい人間の姿に親鸞さまはかれ、ご和讚

煩悩にまなこさへられて摂取光明みざれども
大悲ものうきことなくてつねにわが身ををてらすなり」

と述べられています。

 本当の人間になることのできない自己中心の私に寄り添い、迷いの境涯を今生限りとさせ、この私を「必ず仏とするぞ」と願いをかけて、人間に生まれた目的、人間として生きる意味、私の人生の方向を明らかにし、常にお育てくださるのが阿弥陀さまなのです。その阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の願いを聞き、この私が仏とならさせていただく身と育てられている事実を知らせていただくことにより、人間が本当の人間として生きるその境涯を心豊かに歩むことができるのです。

熊本県宇土市 宝林寺 經 智敬

今月の法話について

西本願寺鹿児島別院では、本願寺派布教使による法話(仏さまのお話)を毎月発行しています。